「ナガノサイエンス」=「安定性試験」
皆さんすでにそのようにインプットされているのではないでしょうか?皆さんだけではなく、当社の社員も、日本国内のお客さまも、「ナガノサイエンス」と聞くと「安定性試験」が頭に浮かぶのでしょう。
今はそんな状況に置かれている当社ですが、説明会などで少しご紹介した通り、最初から安定性試験に特化していたわけではありません。
今回はあまり知ることのない、ナガノサイエンスの「はじまり」についてご紹介します。
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当社の歴史は、1962年に故長野美喜知が理化学機器・器具の販売会社「三洋精機商会」を創業したことに始まります。当初は、勤め先の理化学商社が倒産したことに伴い、その商権を引き継いだ形での商社としての起業でした。
しかし「研究者に本物(自ら生み出す、高品質な製品)を届けたい」という強い思いから、製造業への進出を企画、1963年、周辺のものづくり職人に生産を委託する形でものづくりに参入し、1968年には本格的な業態転換に向けて最初の工場を建設しました(大阪府茨木市田中町)。
そしてボトルキャビネット(BC)の商品化に合わせ、1970年9月に「理化学機器のメーカー」として「株式会社ナガノ科学機械製作所」を設立しました。主力の生産ライン用大型熱処理装置(現在は製造されておりませんが、昔は本当に様々なメーカーに合わせた独特な装置があったそうです。)やBCを中心に売上げを順調に伸ばしていきました。
(←すごくレトロなカタログですね!時代を感じます。。。)
(乾燥装置、熱処理装置、表面処理装置、表面洗浄装置など…私も実物は見たことありません。こんな装置も製造していたんですね)
ところが、第一次オイルショックの影響を受けた第5期は売上高が40%も減少、そこで不況の影響を受けにくいBCの拡販に注力した結果、この危機を乗り切ったとのことです。
1978年(第8期)には、BCの販売ネットワークがさらに拡充され、成長を加速するしていきました。
BCは当時、多くの実用新案の登録(権利化)に成功、理化学業界では「画期的な新製品」として知れ渡り、ナガノ科学機械製作所の看板製品となりました。
あまりにBCの印象(製品ブランド力)が強かったため、STS事業を柱に据えて企業イメージを大きく変えようとした頃でも「キャビネットのナガノさんですよね?」と問われることが頻繁にあったそうです。
(今では考えられないことですね!今のお客さまはBCも元々は当社の製品なんですというと逆に非常に驚かれます)
権利の存続期間が終了した後は、アズワンやオリエンタル技研などの多くのコピー製品が出回り苦戦を強いられたが、この分野でのデファクトスタンダードの地位を確立し、日本の研究現場に大きく貢献しました。
(私の研究室にもありました。説明会終わりに研究室に戻って、「あっ!!」となったのを今でも覚えています)
現時点でも理化学の有力ブランドである「島津」「ヤマト科学」「ダルトン」へのOEM供給を継続しており、毎期1億円を超える売上げを計上、手離れのよさから採算性も高く、驚異的な長寿製品として生き続けています。
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このように、はじまりは「メーカー」だった当社です。
ここから「サービス」「コンサルティング」領域に踏み込んでいくわけですが、そんな中でも現在も製品として市場に出ているBCという製品もすごいものですね。
というわけで、今回は社内でもあまり聞く機会も知る機会もない、当社の「はじまり」についてご紹介させていただきました。